ギリッと変わり果てたイワンを睨みつける二人。敵意をむき出しにされている。しかし彼は余裕を崩さない。ニタニタとした笑い顔を浮かべたまま、
「僕は、僕は会いたかったよ、うん。オレ、僕が、またこの世界に戻るには、それには、」
地獄の果実。それは天使達を惑わせて口にした者に力を与える。天使に歪な姿、悪魔という名称、そして果実に含まれた人間の記憶を与えるのだ。
「君達は邪魔なのさ」
ニタッと卑下た笑みを浮かべるイワンを臆する事なく睨みつけるレミとミカ。これから彼女達が行うのは悪魔の処分。もう悪魔と化した天使達は元の姿に戻る事など出来ない、つまり堕落した仲間は消滅、殺してしまうしかないのだ。これは天使達の永遠の宿命だった。
「待てよ」
そこで輝希は立ち上がった。その目には遅れてやってきた涙。正直、彼は状況を全く理解してはいない。目前の生物が何者なのか、何故レミとミカがここにいるのか。そして何故蛍を……。今ここで起こっている事は分からない事だらけだった。だが、そんな事は全てどうでもいいのだ。
蛍の命をコイツは奪った。だからもうあれが何であれ、存在していいはずがないんだ。
輝希は滲む視界でその黒い歪な者を睨みつけて、
「お前は誰だ! なぜ、なぜ蛍を殺した!?」
彼の声はあたりに響き渡った。しかしイワンはその程度で竦みはしない。落ち着いた様子で、
「少年、これは約束さ」
「約束だと?」
訳の分からない事を言い出すイワン。彼は続けて、
「ああ、そこの少女は言った。あの事故の日、自分の命はいらない。少年を助けて欲しいと」
イワンでもあるそれはゆっくりと思い出すのだ、目のいくつかを閉じて静かにあの日の事を。 あの日、イワンは増田輝希の死亡報告を受けて下界に向かった。その時点で彼は地獄の果実に手を出してはいた、しかしその姿はまだ元の姿を意地していた。彼は迷っていたのだ。自分の在り方、溢れ出す力の使い道、この後何を成すべきかを。彼は戸惑っていた。自分の中に刻まれた人の記憶、それからなる今まではなかった欲望に。頭の中から語りかけてくる誰かの声に。そんな事を考えながらイワンは下界の現場に着いた。
そこはイワンが魂を回収しに来た時によく見られる、ありふれた事故現場というものが広がっていた。横転した車、頭部に致命傷を受けて倒れ込む男ーーおそらくこれが増田輝希と呼ばれる少年だろう。そしてその横には、やはりいつもと変わらない。
そこにはいつものように、大切な人の死を嘆く誰かがいるのだ。輝希、輝希、今回の娘はそう叫びながら倒れた死体へ必死に叫ぶのだ。しかしいくら叫ぼうとも、いくら願おうともその意識が戻る事はない。イワンにはわかる。だって、自分がここにいると言う事はそういう事なのだから。普段、いや以前までならこの光景に何の感情も感じなかった。ただ仕事をこなす。ただそれだけだった。
しかし頭の中で彼の記憶が叫ぶのだ。地獄の果実を口にしてから頭の中に浮かぶ見知らぬ光景。自分が体感した事のない様々な記憶。それに遠藤来人という名前。
そしてそれは徐々にイワンと溶け合っていくのだ。自分の中に、自分のものなのかさえ分からぬ感情が生まれた。
目の前の少女は悲劇のヒロインなんだよ。愛する者を突然失った可哀想で愛しい素材なんだ。だが足りない。物語、愛はもっとインパクトのある終わりが欲しい。もっと、もっと痛みのある話が良いんだ。心にも、身体にでもいい。もっと痛みが僕は欲しいんだよ。
イワンであり遠藤来人でもあるそれは静かに、久しぶりに胸を高鳴りを感じながら考えを巡らすのだ。
彼は天界の状態をスウッと静かに解いた。そして彼は泣き叫ぶ赤土蛍の前に姿を現して、ニタッと下品な笑いを浮かべるのだった。
「イワン、まさか」
そこまでの話を聞いていち早く真実に気付いたのはレミだった。先程よりも強い怒りを込めてイワンを睨みつける。しかしイワンはニヤニヤとした口元を崩さずに彼は話を続ける。そして、その口元をさらに嬉しそうに歪めて
「ああ。だからおれは、ぼくは、その少年に与えたんだ、」
「ーー彼女の命を」