通常、悪魔となった者には最低でも5〜6人の小部隊編成で始末に向かう。それに元がイワンの様に優れた者ならばその人数はさらに必要となるだろう。それほどまでに悪魔となった者の力は脅威なのだ、だからこの状況は彼にとってはむしろ好機、逆に追いつめられたのは策を使い果たし逃げる事も出来なくなったレミ達の方なのだ。
「ふん」
それに対してレミが返したのは鼻で笑うかのような見下した笑み。彼女は哀れみの視線でイワンを見つめるのだ。
「頭の良いお前らしくもないな。なぜこんなバカが私達と同じ部署にいるのか考えた事はなかったのか」
ミカをチラリと横目で見るレミ。確かに悪魔となった天使の戦闘力は格段に上がる。通常ならばたった二人で始末する事など無謀な事だ。しかし、それは普通の天使ならばという話だ。
「レミちゃん、いくら悪魔になったからってバカになったわけではないですよ。イワンさんは賢い人でした」
「いや、馬鹿にされてるのは君だからね」
まさに知能のないところが浮き彫りになったが、確かに。イワンとレミが所属していた部署は、いわばエリート部署。レミやイワンのような優秀な天使のみが配属される場所だ。しかしミカはと言えばどうだろう。彼女の頭はお世辞にも良いとは言えない、仕事に関しても効率が悪いし失敗してレミに怒られているところもイワンはしばしば見てきた。いくら一番下の階級だったとはいえ、確かにそもそも一緒の部に配属される事自体がおかしく思えてくる。ミカには何か秘密があるという事なのか。
「レミ、それはどういう意味だ?」
「つまりこういう事ですよ」
珍しく不快そうに顔を歪めるイワン、その問いに答えたのはミカだった。
「なっ」
二対一になろうとも変わらぬ優位に油断はしていた。だが決してミカから目を離していたわけではない。しかし気付けばその姿はいつの間にかイワンの後ろへと移動していた。咄嗟に身体を捻り反応するがもう遅い、ミカの右拳はイワンの脇腹へと命中する。ミカの華奢な身体からは想像出来ない程にその拳は重い。追撃を恐れたイワンは廊下側へと跳躍、扉を透き抜け体勢を整える。そこで不意に理科室でのレミの言葉が蘇る。
『私が戦闘に能力を使わないのは“アイツ”やお前がいたからさ。私が攻めにいく必要がなかったからだ』
「ふ……そうか、そういう事か」
イワンが見据える教室の扉から少女がすうっ、と溶け込むように浮き出てくる、天使ミカ。なるほど、天井から攻撃をした時は位置を悟られないように力を抑えていたわけか、つまりこれが彼女の本来の力、痛みの残る脇腹が彼女の異常な腕力を証明していた。
「ミカ、お前がレミの言っていたアイツか」
「なんの事です?」
きょとん、とした顔で廊下をゆっくりと近づいてくるレミ。続いてレミも扉を開けて輝希と共に廊下へと姿を見せる。
「そうだ。ミカはその戦闘能力を買って、私が長官に推薦し配属してもらったんだ」
「なるほど」
ミカが同じ部署にいたのはその力故。彼女の本来の役目は事務等のデスクワークではなく、こういった戦闘がメインだった訳か。確かにその運動能力が優れている事は認めよう。
「だが、所詮は天使。オレに届くほどではない」
振りかざす五指から伸びる黒い爪、狙いは近づいてくるミカの首元ーーだがその攻撃は彼女の振り上げた左手により防がれる。ミカはイワンの右手首を掴み彼の攻撃を受け止める、避けるどころか受け止められたのは意外だったが彼女の身体はもうすぐそこ。このまま押し切ればいいだけの話。
しかし一向に彼の爪はミカに届く事はなかった。
「ちっ、なぜ女の力ごときを押し切れない……いや、これは」
厳密に言えば徐々にだが力の均衡は崩れてきている。高い戦闘力を有しているとはいえ悪魔であるイワンの方が力は上という事だ。しかし、この力はどう考えても女の天使の域を超えていた。そしてイワンは気付く。ミカから強大な天使の力を感じる事に。
「気付いたか、ミカの媒体が何なのか」
「そうか、お前の媒体はーー自分自身か」
天使は媒体を使い力を発揮する。しかし天使である以上、その身体の中には天界状態である限り力は常に流れており、それにより空を飛ぶ事や人間よりも高い運動能力を可能にしているのである。だが媒体を通す事によってその力は格段に増したり、レミやイワンの様に特殊な使用をする事が出来るのだ。