殺す。殺す。
こいつは増田の、増田の大切な人を奪ったんだ。
蛍を殺したんだ。
それに天使のルールを破り、こいつは地獄の果実に手をだした。
こいつを許すわけにはいかない。
殺す。
必ず殺さなければならない。
「あああああっ!」
「ふふ、憎いだろう。俺が、僕が、殺せ、殺せ、イワンを殺してしまえ。さあ、負の感情をもっと強く、強く思うのだ」
「あああああっ、イワンっっ」
レミの頭に直接流し込まれていくイワンの作り上げた憎悪。憎い、憎い、殺す、そう強く思う程に彼女をさらなる激痛が襲う。
もうこの感情の増長と痛みの連鎖から抜け出す術はなかった。
徐々に抜けていく四肢の力、ぼんやりとした視界に浮かぶのはイワンの卑下た笑み、そのニヤけた顔に平手を打ち込もうとしても身体は思うように動いてくれない。それどころか支える力さえ失ったレミの足はその場に崩れ落ちる。
もう、駄目かも知れない。そんな時、
それは幻聴だったのだろうか。
消し飛びそうになる意識の中で彼女が聞いたものは、
レミちゃん。
レミ。
「イワンっ!」
突如イワンの腹部を爆発が襲う。左の脇腹に走る衝撃、仰け反る程の威力はなかったがイワンの意識を一瞬逸らすには充分だった。
「チッ」
すかさず爪を振りかざすがそこにもうレミの姿はない、彼の黒い爪は宙を切り裂いただけだった。イワンはすぐにレミを追う事をせず冷静に状況分析、自分を襲った爆発の正体を調べる、すると理科室の床、自分の足元には細かな肉片があった。
先の爆発でレミの身体、もしくは自分の身体の一部が飛び散ったというわけではなさそうだ。 となるとこれは爆発した本体の残骸か、イワンは身体を屈めて顔を近付けその正体を突き詰める。
「これは、チクワ、か?」
よくみるとその肉片には細かな茶色い皮のような部分が見られた。加えてレミが力を伝えれた事からして間違いないだろう。なるほど、こうした手榴弾のような使い方もあるのか。
「使えないと思っていた力でまさか危機を突破されるとはな……さて」
レミが先程までいたところを見つめる、二人がいた場所は出口から遠く、逃げる際に机や椅子等を退けた様子も無い。それにあの位置から廊下へ向かったとするならいくら素早くとも後ろ姿ぐらいは捉えれたはずだ。しかし彼女は一瞬の間にイワンの視界から消えた。
となるとレミはこの床をすり抜けたのだ。天界状態となっている彼女は下界のものであれば任意に触れられる物や人を選ぶ事が出来る。その力を使いレミはイワンの左手が自分から離れた隙に床を通り抜けて下の階へ移動、まだ遠くへは行っていないはずだが……。
「立体的に逃げ回るとなると厄介だな。だが、天使の力、それに感情を追えば時間の問題だろう」
天使の力を感じとり場所を特定する。この条件はレミも同じだ。おそらく追われる立場の彼女は力を最小限にまで抑えて隠れながら反撃の機会を窺ってくるはずだ。だがその力に加えてイワンの場合は相手の感情を追う事が出来る。こちらは天使だけでなく人間も範囲に入ってしまうのだが、今ここは休日の午後の校舎。人が多数存在する普段とは違う。レミを特定するのはそう難しい事ではないだろう。イワンが相手の感情を追う事が出来るのはレミも知っているはずだ。だがこちらは天使の力と違い全くのゼロにする事は出来ない、感情を無くす事など出来ないのだから。
彼の無数の目は各々の動きを見せる。そしてその下の頬まで裂けた口を歪めてイワンは、
「さあレミ、楽しい楽しい鬼ごっこを始めようじゃないか」
畠山第三中学校。休日の静けさの中に響くのは叫び声。しかしそれは天使にのみ聞こえる、 否、彼女ーーレミにだけに向ける狂気だ。
「レミー!!」
自身も床をすり抜け一階へと降りたイワン。しかしそこに彼女の姿は既になかった。
「さあ、どこに隠れているんだっ! 出て来いっ! 早く続きを始めようじゃないか」
二階の渡り廊下。微かに天使の力を感じた。それもかなり近くでだ。ふと力を感じた足元を見下ろす。