「へえ。なら」
ラケットを見つめ、不敵な笑みを浮かべる実。何かを思いついたのだろうか。
いいですよ。勝負です。
「ふっ!」
右利きサーバーから見て右に弾むキックサーブ。バウンド後大きく跳ねるため、リターンの取りにくい変化球。初心者では尚更対処し辛いサーブだ。
真子のサーブが放たれた直後。実は球の軌道を予測。素早く移動。真子のフォームからして、キックサーブと予測したのだろう。球よりも左気味へと身体を構える。
「しっ!」
実の予測通り。放たれたのはキックサーブ。実は横回転を加えてバックハンドでスイング。緩やかな軌道を描く打球。問題ない。真子は難なくスイング。再び横回転で球を打ち返す。このまま勝負が長引いた場合、技術的に上な真子の方が有利だ。焦らず着実に打ち返して行こう。
そう考えていた真子だったが、
「っ!?」
真子にとって予想外の行動。球に向かい直進する実。ネット付近まで近付き、持ち方をコンチネンタルグリップに変更。球を正面に捉える。球速を殺し、球の下面をカットするようにスイング。ドロップボレーだ。
「くっ!」
反応が遅れた真子。慌ててネットまで詰め寄る。ラケットを振りかざす。だが届かない。球はネット付近を力なく跳ねていった。
「15・オール!」
真子の初失点を告げる声。真子は動揺。予想外だったのだ。てっきり力押しで来ると考えていたから。それがまさかのトップスライス。そしてドロップボレー。さすがに美子が認めるだけの事はある。侮れない。
それなら。
「ふっ!」
気を取り直して真子はサーブを放つ。トップスライスサーブ。実の放ったサーブだ。だが一言にトップスライスと言っても様々な種類がある。トップスピンとスライススピンの割合で、異なる動きを生み出せるからだ。
「ちっ!」
そう。先の動きは、真子のサーブが左に跳ねるのを知っていたから出来たプレイ。だが今回は違う。トップスライスの動きで回転を変えられるこのサーブ。実では完璧な予測は出来ないだろう。
「30・15!」
「よしっ」
サービスエースを取った真子。実は口に手を当て思案顔。どうやら何かを閃いたようだ。そうなると、さすがに何回もエースを取る事は難しいだろう。しかし、アドバンテージは依然として真子にあるのだ。
「40・15!」
よし。次はこの回転だ。
「ちっ!」
「ゲーム真子 トゥゲームtラブ!」
よし、まだいける。
「あ〜、くっそー、また負けた〜」
第二ゲーム終了。勝者は真子。実はまたしても敗北。それもほぼラヴゲームで。さすがに悔しいのだろう。声のトーンが珍しく低い。美子は審判台の上から独り言のように、
「まあ、実さんも筋はいいけど、相手は真木だからね〜」
そう言って真子をチラリと見下ろす。するとそこには、少し青ざめた様子の真子が見えた。
「はぁ……ふぅ……」
「ちょっと……真木、アンタ顔色少し悪いわよ?」
美子の声に気付いた真子。審判台を見上げる。そして作り笑いのような笑顔で、
「……そうかな? なんて事ないけど?」
美子はすぐに嘘だとわかった。しかし今それを指摘するのは妨害行為に等しい事だろう。美子は不本意だが、見て見ぬ振りをして、
「そう……ならいいけどさ」
「うん、大丈夫」
うん。まだ大丈夫だ。
ピィイィイ!!
「プレイ!」
ゲーム開始を告げる美子の声が、再びコートへと響いた。
★
「ゲーム真子 ファイヴゲームtラヴ!」
「よし!」
美子がゲーム終了をコールする。これで真子は5ゲーム先取。マッチポイント。あと一ゲーム獲得で真子の勝利が確定する。
あと1ゲーム……。大丈夫……。
「ちょっと、真木?」
「お〜い、真子?」
「へ? はい、なんですか?」
気付くと実と美子がすぐ隣にいた。訝しむように真子を見つめている。
「いや、何ってコートチェンジだぞ」
コートチェンジ。奇数ゲームの終わりに行う行為。つまり今やるべき行動。だが完全に忘れていた。どうやら疲労で上の空になっていたらしい。真子はハッ、となり苦笑いで、
「あっ、あはは。すみません。ぼーっとしてて」
「ふぅ〜ん」
疑うような視線を向ける実。真子の顔色は明らかに良くない。調子が悪いのは一目瞭然。だがあえて触れることはしない。
「……まっいいか。ってか真子」
「はい?」
実はビシッ、とラケットを真子に突き出して、
「このゲーム、俺はまだ諦めてないからなっ!」
にっこり笑顔で宣言する実。既に5ゲーム差。なのに、実は勝負を諦めていない。
「……ここから逆転するつもりですか?」
真子は疑問に思う。どうしてそんなに楽観視できるのかと。どうしてそんなに熱くなれるのかと。
「ああ、もちろんそのつもりだぜっ!」
そして同時に羨ましくも思う。真子はすぐに冷めてしまう性格だから。実のようには考えられない。だから少し羨ましい。そして、そんな実を見ていると、自然とこちらもムキになってしまう。この男に勝ちたいと思える。だから、真子も笑顔で、
「そうですか……なら私も全力で行きますよ」
「おうっ。望むところだぜっ」
「はい、じゃあ楽しみにしてますよ」
なんだか少しだけ気分が回復した真子。先よりも明るい表情で自コートへと向かって行く。美子はそれを横目でチラリ、と見た後に、腕組みをしながら、
「いいの? 敵に塩を送るような真似して。真木、なんかやる気出ちゃったみたいだよ〜」
「ベストじゃない相手と闘ってもおもしろくないだろ? 多分、お前が俺の立場でも同じ事をしたと思うぜ?」
「どうかな〜? 別に真木の事なんかどうでもいいからな〜」
「とか言って心配しまくってるくせに。ツンデレさんだな〜」
「なっ!? ……ふん。実さんなんか、とっとと真木に負けちゃえばいいのに」
図星を突かれ顔を赤くする美子。実から目線を逸らして、子供のようにいじける。対して実は余裕の笑みで、
「それはどうかな? こっから大逆転が始まるかもしれないぜ?」
「はいはい。まあ、せいぜい頑張ってくださいね」
手を振り審判台へと戻って行く美子。実は一度深呼吸をして、
「さあて、行くか」