『輝希はこんな事で死んじゃ駄目なの。彼にはもっと多くの事を知って欲しいの』
そんな彼女のーー蛍の聞こえるはずのない声が聞こえた気がした。
心の中で何かが崩れた気がした。なぜ僕が生きていたのか、本当の意味がやっとわかった。
彼女が助けてくれたんだ。僕が彼女を助けたかったように。彼女に生きて欲しいと願ったように。
彼女も僕が生きる事を望んでいたんだ。だから自分の命をくれたんだ僕に。
「あ……」
遅れて溢れてきた涙はもう止まる事を知らなかった。蛍が首を刎ねられて死んだ事、蛍が自分の命と引き替えに輝希を助けてくれたという事、
その事実を頭が受け入れた時、輝希の視界は真っ白になった。
「そうか、どうもおかしいと思ったんだ。これで納得がいった」
やはり死亡報告装置は正しかった。増田輝希はあの日死亡していたのだ。しかしイワンの目論みによって彼は命を取り戻したのだ。彼が持つ天使の力によって。
「たしか、お前の力は感情を伝うんだったな」
天使達はそれぞれの媒体を使い力を発揮する。それはレミだけではなく、ミカやイワンも然りだ。レミの場合それは練り物になるわけだが、イワンの媒体となるもの、それは生物が抱く強い感情だった。
「ああ。あの日、蛍は少年を救いたい、そして彼を失ったという強い感情を秘めていたからな。いとも簡単に生命力は移動出来たよ」
絶望。悲哀。幸福。怒り。その想いの種類は何でもいい。とにかくイワンはその対象が強い感情を秘めていればいるほどに、その力を大きく使う事が出来るのだ。しかし、
「だが悪魔に、成りかけていたせいか、力の加減が分からなくてな。その少年に、命を再び宿すまでしか出来なかった」
イワンにとって予想外の事態。本来ならば蛍の命を引き換えに、輝希の身体は傷を含めて完全に蘇生が出来るはずだった。だが記憶の混濁が影響したのか、また天使ではなく悪魔に成りかけていた事が原因か、その力はいつものように働いてはくれない。とにかくこの時のイワンが治せたのは輝希の命だけ、最低限の生命力までだった。
「なるほど、だから増田の身体は傷を癒すために求めたんだろうな……お前の力に近い、天使である私の力を」
「ああ。君の気配を感じたので、私はその場から離れたが、おそらくそう言う事なんだろうな」
これでレミと輝希の魂が混じり合ってしまった事も納得がいった。輝希の身体はイワンの力によって未完成な蘇生をした。だから足りない部分を無意識に補おうとしたのだろう。イワンに似たエネルギーを持つ、その場に現れたレミの力を身体に吸収して、だ。
「それで、お前は命を失った蛍を蘇生させて一体何が目的だったんだ」
そして、蛍から輝希の気配がした事も説明が出来る。輝希の身体の大部分を補ったのはレミの力だとしても、元々はイワンの力が関係している、そしてそれは蛍の生命を移動させたものだ。なので見た目に変化はなくとも今の輝希の魂は、レミ、イワンの力、それに蛍の魂が混ざり合った状態となっている。つまり正確に言えば、蛍から輝希の気配がしたのではなく、輝希から蛍の気配がしたという訳なのだ。
「ふむ、何が、という事もなかったが、ただ演出したかったんだよ」
そう呟くイワンは先程までに比べてどこか様子が違った。だがそれは以前の天使だったイワンの様という訳でもない。それは化物に似つかわしくない人間らしい仕草で、
「衝撃性。僕は物語にはそれが必要だと思うんだよ。愛する者の残虐的な死、救ったものを奪われるという絶望、精神、肉体を締め付けるような痛み。それらが物語をより良くするんだよ」
ふむ、とイワンはもう一度ザラつく黒い顎を手で擦る。彼にそんなクセはない、でもその手慣れた感じは何十年も繰り返したクセのように見えた。
「レミちゃん、イワンは何を言っているんです?」