正直こんな彼女の無惨な死体は見ていたくなかった。だが消えてしまうとなると、本当に最後の別れが来た事が分かってしまって。もう、彼女が戻る事はないと理解してしまって、
輝希の瞳からまた一滴の雫が頬を流れた。
「少年、いかんな、そんな悲しい顔をしてはいけないよ」
粒子が昇っていく光景をぼうっと眺めていた輝希はその声でイワンの視線に気付く。無数の目に覆われた顔では彼の表情を正確に読む事は出来ない。だがどこか彼は優しい声でそんな言葉を述べるのだ。
「さっきまでの威勢はどこにいった? 突き刺す様な殺意はどうした、彼女の死体と共にどこかへ消えたのか? 駄目だな、駄目だ、人を恨むなら、もっと深く、黒く、絶対に揺れない怒りを持たないといけない」
同情しているかにも聞こえる声でイワンは輝希の闘志を煽る。まるで復讐を望んでいるかのように。しかしそれは決して輝希のためではない。
「そして、そうして復讐に燃える君達をーー僕は殺したい」
自分の譲れない美学、欲求を完璧に満たすためだ。
「ああ、きっとそれは素敵な事なのだろう。君達は目達を果たせず惨めに死んでいき、僕は君達の想いを全て踏みにじる。君達の怒り殺意全てを蹂躙……ああ、楽しみだよ。本当にね」
ぎょろり、と彼の無数の眼がこちらを向く。まぶたもない剥き出しの眼球達は彼の気持ちに反応して、どれも小刻みに揺れていた。
「うっ……」
その不気味な光景やイワンの狂気に触れて、ここにきて初めて輝希に恐れの色が見えた。蛍の死に激昂していた脳が通常の思考に戻る。目の前には2メートル以上の異形の怪物、浮かべた卑下た笑みは頬まで裂けた口元とその姿のせいで吐き気すら覚えた。
「ふう、これでは駄目だな」
言葉と共にぎょろり、とした眼は輝希を見る事を止めた。瞳は再び様々な角度を見つめる。ある眼は空、ある眼は地上、まるで一つ一つが違う生物のように周囲を見渡す。そしてイワン自身は黒いくたびれた印象の翼を広げて前へと羽ばたいた。
「イワン待て、逃げるのか」
「逃げはしないさ、しかし今の少年を殺めたところで僕は満足できない」
イワンにとってこのまま輝希、ミカ、レミ、この三人を始末するのは用意だった。だが足りない。それでは満たされない。イワンが望むのは彼等、特に大切な者を失った輝希の思いを踏みにじる事だ。今の死を待つ小動物のような少年を殺めたところで、それは到底満たされないのだ。
「僕は先に野暮用を済ませておくよ。久しぶりにこの学校を見ておきたくてね」
久しぶり、そう彼は口にしたがイワンはここを訪れた事はない。ただ遠藤来人の記憶にこの景色は深く刻まれており懐かしく思えたのだ。蛍と輝希にもそうであるように、生前の遠藤来人にとってもここは思い出の場所だった。
「それまでに戻る事を期待しているよ、彼に、僕を、殺したいという強い意志がね」
また卑下た笑みを浮かべて彼は背を向ける、そして再び黒い翼を大きく広げた。レミは彼の後ろ姿に向かって、
「イワン!」
しかし彼は羽ばたきを止める事はなかった。グランドを飛び越え校舎の方へと飛翔していく。だがあの様子では逃げる気はないだろう。レミ達三人を殺す事も目的の一つとしているのならこのまま雲隠れするという事はないはずだ。となると問題は、
「増田……いつまでそうしている気だ」
「レミ、僕は……」
レミの声に輝希は顔を上げる、、情けない表情、恐怖と喪失感でどうしたらいいか分からないといった様子だ。確かにこれではイワンの言った通りだ。蛍の死体の消失と共に、怒りさえもどこかえ消え失せたように見えた。
「いや、それより先に私が謝るべきだな」
だが彼ばかりを責めるわけにはいかない。そもそもの原因はイワン、レミの元仲間のせいだ、それにレミが早く蛍の異常に気づいていればこんな事にはならなかったはずだ。
「増田本当に済まなかった。私の部下のせいで……お前を助ける形にはなったが……彼女を死なせてしまった」