「レミ、それはいいよ……さっきも言ったけどこれは君のせいじゃない。絶対に。それに嬉しかったんだ。さっき、あいつに蛍の事で怒ってもらえてさ」
輝希は先程の思い出す。彼女は言ってくれたんだあの化物に。『蛍の痛みがお前に分かるのか』。そんな風に怒りを露にしてくれた。たった数回ばかり会った人間のために。自分達天使とは違う人間のために。その事が輝希にとっては何回謝ってもらうよりも、ずっと嬉しかった。
「そうか……ならこの話はもうよそう」
短く彼女はフッと笑った。その息に不安や恐怖をのせて身体から追い払うように。正直、罪悪感はまだ消えない。だが輝希が言ってくれたのだ、君のせいでは絶対ないと。蛍の事で怒ってもらえて嬉しかったと。ならレミは、今はその言葉に甘える事にした。
「では増田、私達は天使のルールに従い悪魔となった者を消滅させる」
これは天界に遥か昔から伝わる秩序。悪魔となった者を元の天使に戻す術はない。
ならば騒ぎを起こす前に速やかに排除する事が義務付けられていた。
「しかしそれは私達天使の決まり事だからというだけではない……」
そう、イワンを今ここで排除するのは何も秩序のためだけではない。レミの中にはそれと同じくらい、いやそれ以上の気持ちが溢れているのだ。
「無論、奴を消したところで彼女はもう戻ってこない、だがな」
目線を落とし少し後ろめたさを感じながら呟く。天使であるレミがこう言ってしまえば彼は確信してしまうだろう。もう彼女を元の人間に戻す事はできないという事を。
悪魔となった者を元の天使に戻す術はない。それと同じように、天に昇ってしまった身体、魂を元の人間に戻す術はない。という事も揺るぎない事実だった。しかし厳密にいえば蛍の魂は輝希の身体の中にある、だが既に輝希の魂として機能している以上、結論としては同じだった。でも、それでもレミは、
「私はお前にも協力して欲しいんだ、私個人の気持ちとして」
「増田さん、私もです。私もできれば、増田さんにも蛍さんの敵をとってもらいたいです」
蛍さんの敵、そう言ったミカの方を見る。彼女は先程も『蛍さんのためにもあなたを倒す』と言ってくれた。秩序などよりも自分の感情を優先しそうなミカらしい台詞だった。
それだけに嬉しい。本心から蛍の死を悔やんでいると分かるから。
「レミ、ミカ……ありがとう」
僕は、僕に舞い降りた二人の天使を崩れ落ちた身体を起こしながら見上げる。
レミとミカ。
二人とも想ってくれているのだ。
僕の幼なじみの事を。
僕の一番大事な人の事を。
言葉よりもずっと奥、心の底で想ってくれている。
ならば、僕のやる事は一つだけだ。
「行こう。みんなのために、あいつを倒そう」
★
畠山第三中学校。ここは蛍と輝希の母校であり、
遠藤来人の母校でもあった。学校内へと入り込んだイワンは二階にある理科室内で立ち止まり一人物思いにふける。
「不思議な感覚だ。初めてなのに懐かしいと感じる……いや初めてではないのか」
天界でずっと育って来たイワンにこのような景色は見覚えはない。だがある、彼の記憶、遠藤来人の幼少期の記憶にはこの場所が深く刻み込まれている。
「ふむ」
来人の幼い頃の記憶、いや自分の中の記憶が疼く。ここでかつて起きた様々な出来事が頭を巡る。
「ここは……」
彼は理科室から繋がる理科準備室の扉を見つめる。この理科室は放課後には誰も使用しない人気のない場所となり、さらに準備室は理科室と違い、鍵も内側からなら簡単にかける事が出来る上に、窓も壁上部の高窓しかなく外から見られる心配もない。なので特定の生徒にとってはこれほど好都合の場所はなかったのだ。そして、ここで起きた出来事も彼は覚えている。
夕暮れのこの部屋を包むのは暴力、そして狂気、響くのは笑い声と誰かの泣き叫ぶ声だった。
人目につかないという事は、何が起きようとも誰も気付かないのだ。
たとえ誰かの血が流れようとも、たとえいくら叫びをあげようとも、
それはその場にいる者達にしか伝わらないのだ。